横浜市青葉区、緑区で腰痛・肩コリ・膝痛でお困りの方、鍼灸院をお探しなら田奈鍼灸院

院長・スタッフ紹介

田奈鍼灸院 スタッフ紹介

「田奈鍼灸院では、中医学に基づいて体の痛いところはもとより、自然治癒力を活性化させることにより全身の健康を促進、維持させる治療を行います。健康について一緒に考えていきましょう。」

田奈鍼灸院院長 依田 康貴(写真右)

誕生

昭和50年4月2日 長野県は田舎町で誕生

両親は女の子が欲しかったらしく、大体女の子のような赤基調のおべべを着せられてました。

3歳年上の兄を慕い、金魚のフンのように後を追いかけていました。
兄が居ない時は独り遊びを得意とする内気で甘えん坊な少年でした。

小学生時代

内気な少年はいつの日か出しゃばりになり、友達も多く人生最大のモテキを迎えました。

6年生になると児童会長を務め、順風満帆な時期を過ごしておりました。

中学生時代

この頃になると、アトピー性皮膚炎を発症し、皮膚症状はほぼ全身に及び目も当てられない程になりました。

常にあちこちをかきむしる事が癖になった少年は、アトピーを治すために良いと言われるものはすべて試すべく、母に連れられあちこちの病院へ行きました。時には県外まで治療の為に足を運んでいました。

また、この頃体を悪くし2週間ほど入院をする事もありました。
中学生にして病弱な自分は『長く生きることはできないだろう』そう思うようになっていました。

高校生時代

すっかりネクラになった青年はこの頃に東洋医学と出会いました。
アトピー性皮膚炎の治療の為、時には強い吐き気をもよおす副作用のある注射をしたり、時には涙を流しながら腸内洗浄したりと苦しい生活をしていた時期です。

その東洋医学の治療を始めると少しずつですが、アトピーによる皮膚の症状が少しずつ良くなり始めました。
そして、自分の将来が見えました。
当時文系専攻だった僕は入試3ヵ月前、理系に転向し猛勉強の末、明治鍼灸大学(現:明治国際医療大学)に入学しました。

中国留学時代

この時期に運命の女性との出会いがありました。
初めての海外、異国での暮らし、安定のネクラな僕も少しずつ仲間が増え、多国籍の方たちと交わりました。

様々な価値観に触れることにより、多くの学びがあり、気づきがあり、鍼灸の技術のみならず『人』として大きく成長させていただきました。

社会人デビュー

帰国後、『医療法人社団快晴会』に入職、結婚。

元気いっぱいで働き、そして子供を授かり、鍼灸師として半人前ながらも周囲の皆様に助けていただきながら力をつけてきました。
そして悲しい出来事もありました。
妻と娘とお別れをしました。

独りになった僕は、学生時代以上に勉学に打ち込みました。

東洋医学を専門とする先生、整体を専門とする先生、両者から東洋・西洋の考え方を学びました。
そしてこの両者に共通点がありました。
それは人の体を治していく上でもっとも重要なファクターの一つが『循環』であると言う事でした。

延べ2万名の患者さんの体と向き合って現在、まだまだその先にあるものを探求すべく、全国の治療家向けに技術講師をさせていただいております。

その傍ら、横浜市青葉区・緑区の地域に根を下ろし、地元の方々には体の事で悩むことが無く健やかな生活をしていただく事が僕の何よりの願いです。

関谷 友輔(写真左)

出 身  東京都瑞穂町
趣 味  ツーリング・映画鑑賞
出身校  日本工学院八王子専門学校 鍼灸科

誕生

平成5年12月27日東京都の瑞穂町で誕生。

兄と妹に挟まれ両親が言うにはわりと静かな幼少期だったみたいです。

いつも兄がやっていることに惹かれ憧れなんでも同じことをやりたがっていたのを憶えています。

小学生時代

小学校入学後は兄が前からやっていた少年野球の影響を強く受け、小学1年生で地域の少年野球チームに入団しました。

それからというもの6年間は、遊び、遊び、野球、遊び、遊び、野球と言っても
過言ではないくらい活発に走り回っていました。勉強は、、、(笑)

野球人生で少年野球の時が僕の黄金期だったらしくキャプテンで4番ピッチャー。

打率は7割、全てがちょろかった時代でした(=゚ω゚=)。

中学生時代

その後中学校に入学。週6で野球。休みの日は遊び。

小学生時代と何も変わらず、入学してすぐの大会もベンチ入り。
何も変わらず充実した日々を送っていました。変わったといえば喧嘩が増えたり恋をしたりですかね(笑)

しかし2年生になると状況は一変。

怪我ばかりで手術も2回ほどしました。当時は鍼灸の存在を知る由もなく、怪我をしたら休むのを繰り返しでした。もちろん練習を休むことによって打てない、取れない、完全にへっぽこです。

あの7割バッターのはどこへやらって感じでした(笑)

しかし、そんな僕に対して当時の顧問の先生は常に怪我のことを気にかけてくれずっと休んで試合にも出られないのに背番号はレギュラー番号を渡してくれました。
また、試合に出られても全然打てないのに4番バッターとしておいてくれました。

まー泣けましたね( ; _ ; )泣

顧問の先生の優しさ、ベンチに入れなかったにも関わらず笑顔でいてくれた仲間たち。

僕はこの経験がなかったら絶対に高校野球もしていなかったし、鍼灸にも出会えてなかったと思います。

ここが僕のターニングポイントだったののかもしれません。

なんだかんだ中学野球が終わってしまいました。
中学では学年最優秀生徒に選ばれ素敵な先生、素晴らしい仲間に出会えたこと、本当に僕にとって充実した三年間でした。

高校生時代

そして高校に入学。中学校での経験もあり野球部に入部。
野球部員は同学年だけで27人。

レギュラー争いも激しいんだろうなーと、思っていた矢先また怪我をしました。
夏の合宿も筋トレのみ。マジで辛かったです(泣)

野球部を辞めてカメラ部でも立ち上げようかなと本気で考えもしました。

ある日、母の友達に勧められ鍼灸院に行くこと。
正直鍼灸を受ける前は「鍼なんて体に刺すとか正気かよ」「膝に鍼刺して治るはずねーだろ」など思っていたのを覚えています。(笑)

しかし手術やマッサージ、電気療法をしても治らなかった僕はほとんど希望を持つことなく鍼灸院へ向かいました。

アパートの一室の小さな鍼灸院でした。挨拶をし、ささっと問診を終え、いざ鍼治療。

怖い怖いと身構えていると確かに鍼が入る瞬間はプツッと変な感覚はありましたが、全然痛くありませんでした。そんなこんなで一回目の施術は終わりました。
一回目を終えての感想は鍼って案外痛くないのねって気持ちと、よく喋るおっちゃんだなくらいですかね(;´・ω・)笑

しかし膝の痛みは全く変化せず。予想通りでした。
先日行った鍼灸院で次の予約を勢いで取ってしまったのでまた鍼灸院に行くことに。。。

前回の治療と特に変わらずその日も終わりました。しかし次の日になったら前回とは何かが違う。

足が重だるい。「やられた。悪化しちまった(´_ゝ`)」と、思いながらその日は憂鬱でしたが、また次の日、次は脚がすごい軽い!(゜o゜)

本当に驚きました。走れるんじゃなかろうかというぐらい。

「マジか!鍼!半端ねーじゃん」と僕はここから鍼の魅力にどんどん惹かれていきました。

最初ちょっとなめてた先生すみません(笑)

その後回数を重ねている毎にどんどん良くなっているのを実感。

治療院に通い始めてから2か月が経ちそこには走っている僕がいました。
諦めかけてカメラ部を作ろうと思うまで追い込まれていたのに走れるようになるとは。。。

僕はそこで鍼灸師になって僕と同じ経験の人を助けてあげたいと思いました。子供が本当に好きなので保育士になろうか鍼灸師になろうか悩みましたが、あのときの感動を皆さんに体感してもらいたく鍼灸師になることを決意しました。

野球のほうも顧問の方針に全く合わずもどかしいことはたくさんありましたが無事に最後までやりきれました。

専門学校入学 ~ 現在

専門学校では思ったよりも勉強量は多く挫折しそうなことは多かったですが仲間と支えあえ無事に国家試験に合格しました。

僕は今までの経験を忘れずに患者様の気持ちに親身に寄り添い、また、両親、今まで支えてくれた人たちへの感謝の気持ちをも忘れずに精一杯施術にあたらせていただきます。

こんな関谷友輔を宜しくお願いします!!!